普通の主婦がTOEIC900点を目指して勉強するようになった経緯 【その1 主婦の生き方(あこがれ)】

house-001現在TOEIC900点を目指して勉強しているkijikoさんから「普通の主婦がTOEIC900点を目指すようになった経緯と日頃の勉強など、ひとりでも多くのTOEIC受験者の参考になれば」と記事を寄稿いただきました。数回にわたって掲載させていただきますのでよろしくお願いいたします。

【その1 主婦の生き方(あこがれ)】

かつてアメリカで、独身で社会人として働いていた頃、専業主婦にとても憧れていました。日本人の駐在員の奥様方は労働ビザが無いので、基本的に専業主婦。日中は英会話スクール行ったり、フラワーアレンジメントやお料理教室、時にはお洋服に合うネイルしてお友達と素敵なランチしたり、優雅で良いなぁとひたすら憧れていました。炊事・洗濯・掃除は、独身だって同じ事をする訳だし、断然時間に余裕がある分、好きに時間を使える「専業主婦」=「自由」の公式が頭にありました。よーし、私もいつか専業主婦になって幸せになるぞ!同じく独身仲間と誓っていました。

そして、私も遅まきながら専業主婦になって、念願だった陶芸教室、フラワーアレンジメントに、やった事もない編み物とかやってみたりしました。久々に会った元同僚(男性)には、”why?あみもの?おばあさんのする事じゃないの?”と憐れむような目で見られたけれど、私はそれが一番幸せな事だと信じていて、やってみたかった事だったので、何とも思いませんでした。

その内、子供が産まれて様子が一変しました。夜泣きは当たり前、離乳食が進まない、吐いた後の片付け、病気をするともっと大変で、まだ言っても分からない赤ちゃん相手にとにかく「忍耐」と「寝不足」の日々が続きました。もう少し大きくなると外遊び、子育てサークル、幼稚園選び、習い事、行事の写真など、子供中心の生活が続きました。

この頃、22年ぶりに日本に完全帰国して、逆カルチャーショックを受けていました。自動車免許の取りなおし、日本の部屋の大きさ、洗濯の方法、気候の違い、人付き合い、ややずれた感覚を日本仕様に調整するのに思った以上に時間を要しました。気持ちが塞ぎがちになり、憧れとは程遠く過ごしていた時、従姉が経営する英会話スクールにお手伝いの話があり、行く事になりました。

その英会話スクールは、元々その従姉の息子がアメリカ人の妻と共に始めたもので、生徒数80人、軌道に乗ってきたころ、彼らはアメリカへ行く事になったので、母である従姉が引き受ける事になり、突然任されたものの英語が得意ではない中、2年間何とか頑張ってきた頃、メイン講師のネイティブと日英バイリンガル講師、それぞれ1人ずつ辞められる事になり、かなり困っている様子でした。従姉の状態を知れば、とりあえずつなぎの意味でも行かないと思ったので、家族に相談、まだ4才だった息子を教室の事務所で待たせて、英会話講師の世界に見切り発車してしまいました。

英語を教えた事も無ければ、教えを請う先輩講師もいない、それに加えて10年近く専業主婦で外で働く感覚さえ錆ついていて、使い物にならない。教える教科は、キンダー、中学英文法、社会人ビギナー英会話、TOEICの4つ。本屋に行ってまずは教科書選び、レッスンの計画、ホワイトボードの前で教えるイメージトレーニング、準備はたった3週間しかありませんでした。

当日、足が震えた。従姉の緊張も伝わる。もう後戻りできない所まで来て、初めての生徒さんの前に立った。笑顔で自己紹介(なんじゃこりゃ?)自分でつっこみを入れたくなるくらいぎこちない。従姉が紅茶を出してくれたので座って話をする事にした。生徒さんに話を聞くと2年後には今の会社を辞めて、彼女が持つ技術でアメリカに行きたいという大きな夢を聞かせてもらった。聞いている内に応援したくなった。知りえる範囲でアメリカの状況をお伝えした所、彼女も学ぶ所があったようで、どうしたら、夢が叶うか一緒に考えましょうと学習計画を決めて、最初のレッスンは終わった。他のクラスも不慣れながら、できるだけ要望を聞いて、教えるというよりは寄り添う感じで、生徒主役のスタンスでレッスンがスタートした。

後々、このやり方では、行き詰まると気付く事になるのですが、、、

次回に続く。

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